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沖縄のうたと歴史

(<第7回>明石うたの日コンサート2015!の終演挨拶全文を記載)


<第7回>明石うたの日コンサート2015は以上をもってすべてのプログラムを終了いたしました。
本日は、沖縄で生まれたうた、舞踊、エイサーをたっぷり見て聴いていただいたわけですが、皆様楽しんでいただけましたでしょうか?
楽しかったね~!ほんとに楽しかった!!
本日素晴らしい演奏・演舞をご披露してくださった出演者の皆様、後援・協賛をはじめ、多大なるご支援・ご声援をくださった大勢の皆様、縁の下の力持ちとしてこのイベントを支えてくださったボランティアスタッフの皆様、そして何より本日お集まりいただいたご来場の皆様に実行委員一同心より感謝申し上げます。

沖縄は、今でこそ南国リゾート、癒しの島などと言われていますが、現在にいたるまでの島民の暮らしはけっして楽なものではありませんでした。薩摩藩を通じて江戸幕府の支配下に置かれた江戸時代にはとんでもない重税を課せられ、一般島民の暮らしは生きていくのがやっとという状態でした。特に八重山や宮古の人々は人頭税という重税に苦しめられただけではなく、開墾のために無理やり生まれ島を引き離されマラリアが蔓延する離れ島に移住させられたりもしました。この天下の悪法である人頭税は明治の後半になるまで撤廃されることはありませんでした。

そして先の大戦では、沖縄は日本本土防衛のための捨て石にされ、一般島民も戦禍に巻き込まれじつに島民の4人に一人の方が亡くなっています。その中には、米軍の攻撃によるものだけではなく、日本軍の手によって殺されたもの、日本軍の命令によって自決に追いやられたもの、あるいは戦闘の足手まといになるからと自らの親や身内の手によって絶たれた命も数多く含まれています。
ちなみに、戦時下における最後の沖縄県知事であり「どうか命を永らえてほしい」という言葉とともに県と県警察の解散を命じた島田あきら氏は、神戸は須磨の生まれ、旧の神戸2中、現在の兵庫高校出身であり、これをもとに沖縄と兵庫は友愛提携という関係を結んでいます。

話を戻しますと、過去においてそんな苦しい思いをしたにも関わらず、1972年に本土復帰を果たして以降も島を出て本土に来られた人々は沖縄出身というだけでいわれのない差別を受けてきたとも聞きます。そして現在、今もなお日本にある米軍施設のじつに74%が沖縄に集中しているというのが沖縄の現実です。

そんな過酷な歴史、現実の中で生まれ、歌い継がれてきたのが沖縄のうたなんです。
本日聴いて頂いた沖縄の歌から、恨みや辛み、憎しみが聞こえましたでしょうか?
私にはそうは聞こえない。むしろ、「許しなさい。今となっては誰を恨んでも仕方がないさぁ、許しなさい。」と言っているようにすら聞こえます。
本当のところは私にはわかりません。沖縄で生まれ育ち、これからも沖縄で暮らしていこうとしている島の方々の本当の気持ちは私にはわかりません。
でも、沖縄の歌からは、「恨むでも憎むでもなく、ただ命だけは大切にするんだよ、命こそが宝物なんだよ」という声がはっきりと聞こえてくるんです。

今日お集まりのみなさんの中で、もしはじめて沖縄の歌をじっくり聴いたという方がいらっしゃったなら、どうかこれからもっともっといっぱい沖縄の歌を聴いてください。そして出来るならば、沖縄の芸能や文化とともに、沖縄の歴史にも少しの興味を持ってください。きっと違った声が聞こえてくると思います。

私たち明石うたの日コンサートは、来年も再来年も、これからもずっとそんな沖縄の歌をこの大蔵海岸から発信し続けたいと思っています。
来年もまた、ここ大蔵海岸で命どぅ宝の沖縄の歌をみんなで一緒に歌いましょう!
来年もまた、皆様と一緒にうたのお祝い、命のお祝いをおおいに楽しみましょう!!
本日はまことにありがとうございました!!


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